11月のキャンペーンの合言葉は
ちょっと難しいです
でも、がんばって考えてみてください
ヒントは、薬師如来様をよくよく調べてみたら答えがなんとなくわかってくるかと思います
稲荷信仰を大宮能売大宮神様に「一つ大きな信仰を作りなさい」と命じて作らせたのは薬師如来様です
そこで大宮能売大神様は全国で信仰されている狼の神様たちを福の神として稲荷信仰の神様にされました
では、「なぜ薬師如来様は大宮能売大神様に一つ大きな信仰を作りなさいと命じられたのでしょうか?」薬師如来様の導き方や教え方を考えて答えてみてください
という質問です
稲荷信仰の大宮能売大神様(オオミヤノメノオオカミ)は全国にあった狼への畏怖の信仰に目をつけました
それは、人が「食べてくれるな」と狼を神格化して畏怖の気持ちから手を合わせて願った信仰です
誰にとっても切実な問題だったのですね
狼の神様を福の神にして、さらに狐の皮を被せて人々に受け入れやすくしたわけです
そうやってひとつ大きな信仰を作った理由ですが
薬師如来様(ヤクシニョライ)・阿弥陀如来様(アミダニョライ)コンビと、釈迦如来様(シャカニョライ)は仏様の世界を東西と南北に分けます
お導きの方法の陰と陽です
釈迦如来様はまずしっかりと経典を学んでから、経典の実践をしなさいとお導きをされます
薬師如来様は経験から学ぶことをお導きの根本においておられます
この違いは、天照大御神様(アマテラスオオミカミ)と素戔嗚尊様(スサノオノミコト)の関係のように
相反するようでいて、実は螺旋状に物事が成長・熟成・円熟していく連鎖なのですね
天照大御神様は種から実りを得るまでの神様
素戔嗚尊様は実りから種を得る神様
釈迦如来様と薬師如来様は、学びと経験で人を螺旋状に成長させていくわけです
痛い、苦しい、楽しい、嬉しい、悲しい、悔しい
そういった経験が
痛い思いをしないようにするには?
苦しい思いを避けるためには?
自分の楽しみはなんだろう?
嬉しくなるためには何をすればいい?
悲しいことはできたら避けたいけど、避けがたい悲しみはどうやって乗り越えたらいい?
悔しい思いをしたら、次はどんな努力をしたらいい?
そうやって薬師如来様は考えるように促してくださいます
たとえば病気になり、薬師如来様に「病気が治りますように」と願い
そして病気が治ったとして
もし願ったにもかかわらずお礼にすら行かなかったら…
感謝とは「ありがとう」だけではなく、「ありがとう」と思った先に何をするか?ということです
その答えは経典に載っています
「経典から学びとりなさい」と釈迦如来様はお導きくださいます
そして経典の中に書いてある当たり前のことこそが、豊かに生きるためのヒントなのだから皆に伝えてあげなさいと釈迦如来様は言われます
そこで得た体験が、自分の経験となったときに、人は成長します
ですが、「ありがとう」と思うだけならそれでいい
いつか感謝をすればいい
でも「感謝」という言葉を使うなら
その感謝のあらわれとして何をするか?を考え、そして考えるだけではなく行動をすることです
そういう螺旋が大切なのです
さて、キャンペーンの合言葉の答えです
「なぜ薬師如来様は大宮能売大神様に一つ大きな信仰を作りなさいと命じられたのか」
先の説明の通り、薬師如来様は経験をする種をお与えくださいます
その種を「現世利益」という形で与えよと大宮能売大神様に命じたわけです
まず人々に現世利益を与えることで、感謝できるかどうかを見定められるわけです
「試し」とも言えますね
そして試しから学ぶための種を見つけさせます
薬師如来様は一人でも多くの人に気づきの種を授けるために、大宮能売大神様に稲荷信仰という大きな信仰を作らせたわけです
そして、その信仰を流布するために、秦伊呂具様を大宮能売大神様と二人三脚をさせたのです
もうひとつ付け加えると
ここには天照大御神様と素戔嗚尊様が大きく関わっています
素戔嗚尊様は古いものを壊して新しいものの種を授ける神様
それは、ヤマタノオロチの神話で治水工事の技術が日本に入ってきたことをあらわしていたり
素戔嗚尊様が機織の神様である稚日女尊様(ワカヒルメノミコト)を殺してしまった神話で、より具体的に素戔嗚尊様と天照大御神様と稚日女尊様の関係をあらわしていたりします
稚日女尊様はその名にあるように「日女」様です
天照大御神様の別名は大日女尊様で「日女」様です
機織の技術は素戔嗚尊様が稚日女尊様を殺してしまい、土に還ってしまうこと
つまりは収穫から新しい種を見つけることを示し
そして、天の岩戸に隠れた天照大御神様(稚日女尊様・土の中で過ごした種)が発芽して、稲穂となって、やがて稲穂が実ることをあらわしているのです
その稲穂に成った実りを得る(受ける)ことを豐受大御神様(トヨウケノオオミカミ)と呼び、その中でも人と人とのご縁結びに特化した神様として大宮能売大神様と人は呼んだのです