6月のキャンペーンの合言葉も質問です
「最近のキャンペーンの合言葉はむずかしい!」とのご意見をよくいただくようになりました
ちょっと悩みましたが、あるお釈迦様のように学んでいる男性に「教え」と「学び」の違いを説明していて
これを今月のキャンペーンの合言葉にしましょうかと思いました
というわけで
6月のキャンペーンの合言葉も質問です
「教えと学びの違いを、インターネットとか本とかで調べずに、自分で考えてみて説明してください」
「わかりません」もお答えとなります
ヒントは、「花鳥苑では“一人一人が教祖さま”を目指しています」です
キャンペーンの合言葉の解説です
「教え」というのは、先人や先達が伝えてくださるものです
なので、教科書やマニュアル、経典という教えのためのツールが存在します
「学び」というのは、手取り足取り教えてくださる人がいない状態で、自分の経験や教わったことを活かしながら
「これでいいのかな?」「ほんとにそうなのかな?」と疑問を持ち
その疑問の答えを探し
答えを見つけたと思ったら検証して
それが正解だとしたら次に進み
不正解なら、また答えを探す
つまり、学びは自分で自分が思う正しさを探しだして見つけることです
その結果、自分自身が何者なのか?を知ることになるのが「学び」です
神ごと、仏ごとに照らし合わせてみると
「教え」=「宗教」
「学び」=「信仰」になります
宗教では、時に盲信することがあります
自分で考えることをせず
「団体が言うことはすべて正しいことだ」
「団体に任せていれば幸せになれるのだ」
なんてこともおこります
信仰では、団体ではなく神仏様がお導きくださると信じます
お導きくださるのだから、与えられる苦難や困難にも、その理由を見つけようとしなければなりません
「神様を信じているのに、なんでこんな苦しまなきゃいけないの?」だけで終わるのではなく
「きっと理由があるはず、身から出た錆?」
そこから「おかげさま」が生まれてきます
だから、花鳥苑では宗教ではなく、信仰という形でおすすめしています
以下、花鳥苑でよく掲げている言葉のいくつか
・「一人一人が教祖様」
・「わたしの言葉にすら疑問を持ちましょう」
・「ご供養とお布施」=「観察力と想像力」
・「察し合い」「思いやり合い」「助け合い」「分け合い」
「合い」と「愛」が同じ読みというのも、きっと理由があるのでしょうね
話しがそれましたが、学びについて説明すると
たとえば学者さんは、学生の頃は様々なことを先生や教授から教えてもらえます
そして、研究者になった時に学びが始まります
自分が立てた仮説を証明するために、過去に教わったことを総動員します
それでも足らないことは、調べたり、探したり、新たに自分の理論を立てようとします
その試行錯誤の末に、自分の立てた仮説が証明されて、新しい世界の常識を作ることとなります
その結果がもたらすものは、世界の人々がより豊かになるための一歩でもあります
たとえばお釈迦様
お釈迦様は王子様として生まれ、なに不自由なく育ちましたが
あるとき、城壁の外で飢え死にしたり、搾取や暴力が平然と行われていることに疑問を持ち
王子様という身分を捨てて、その疑問の答えを見つけるための旅に出ました
中略 (日本映画「釈迦」を観てみるとサクッとお釈迦様の一端を理解できます)
試行錯誤の行、悩み、苦しみ、悲しみ
そしてやがては悟りを得る
「悟」という字は、自分の心を表します
つまり、自分自身が何者なのかを知ることを得るわけです
学者さんも、お釈迦様も
共通するのは「疑問を持つこと」
そして、その疑問を解決しようと暗中模索、試行錯誤することです
キャンペーンの合言葉を「自分で考えてくださいね」「コピペしないでくたさいね」というのは、疑問を解決するために沢山調べて自分なりに考える癖をつけていただきたいからです
幼い子どもが「なんで?」「どうして?」「これな~に?」と質問してくることには、絶対に「わからない」とか「知らない」とか言わず
わからなかったら、「いっしょに調べようか!」と言ってあげてください
時間がないなら、その時間を作る努力をしてあげてください
子どもたち、孫たち、ひ孫たち、夜叉孫たちの未来が豊かな世界になるために
「学ぶ」ということを伝えてあげてくださいね
教えは物事を教える事。
学びは人から教えて覚える事。
先生 まだまだ難しいですね(^_^;)
教えは物事を教える事。
学びは人から教えて覚える事。