8月のキャンペーンの合言葉は
意見を聞かせてください
守ってくれたり、お導きくださったりと、目には見えない上の方々には、仏様、神様、ご先祖様とおられますが
「バチ」はあると思いますか?
ちなみに、ざっくりとした分類ですが
仏様には如来様、菩薩様、元人間の菩薩様、明王様、天部の仏様という分類があります
神様には事象の神様、自然の神様、元人間の神様という分類があります
ご先祖様には成仏している気持ちの方と、成仏していない気持ちの方
成仏していない方の中には、ずっと成仏していない方と、時々成仏していない方がおられます
神仏様にもいろんな方々がおられます
神仏様でもその個性、立場によっては同じことにも違った対応をされます
それは社会生活においても同じですね
キャンペーンの合言葉の解説です
「バチ」はあります
ただし、バチを与える方と、バチをけっして与えない方がおられます
仏様、神様、ご先祖様
それぞれの個性や役割から、バチを与える方と与えない方を考えてみましょう
仏様は人の心の中にあり、人が目指すべき指針となる存在
如来様・・・悟りを得た方。
悟りを得たということは、ものの道理を得たということで、他人のことはおろか、自分のことすらも理解しているということです。
とすると、たとえ人が不義理を犯したとしても「これがこの子のいまの心のありようだから」とバチは与えないことでしょう。
菩薩様・・・悟りを得るために修行をする方。
たくさんおられる菩薩様方ですが、その一尊一尊が個性を持っておられます。
一人の人の心の中には多くの菩薩様方がおられ、その人が「こんな人になりたいな」と思う菩薩様を、その願いのご本尊として見習うことでお導きが得られます。
見習う人のためにと、時には優しく、時には厳しくお導きくださいますから、たとえ不義理や礼儀を欠いたとしてもバチを与えることで導くことはされません。
元人間だった菩薩様・・・人が命を失ってから、他人の役に立ちたいとお地蔵様やお前立ちになられた元人間の方。
元人間のお地蔵様という仏様は、お地蔵様の大半を占めます。
例え話をひとつ。
江戸時代以前は遠方へ行くにも徒歩だった頃、行き倒れになった人を村の人がお墓は作れないけどお地蔵様としておまつりしたとします。
行き倒れの人はその親切への感謝のあらわれとして、村の人を守り、豊穣をもたらすことを菩薩行として地蔵様になられるのです。
ところが、このお地蔵様へ石を投げたり落書きする子どもが現れました。
お地蔵様は菩薩行をされていますが、そこはまだまだ駆け出しの元人間のお地蔵様。
「お互い様を教えてやろう」と、子どもにバチを与えられました。
そのバチの内容は、カラスのフンが直撃するというものでした。
仏様のお前立ちになられるというのは、自分が信仰する仏様のようになりたいとか、人々から仏様のようになって欲しいという気持ちから仏像としてご本尊様と同様にまつられた方です。
この方も、元人間なので不義理や礼儀を欠いた時には、厳しく対応するためにバチを与えられます。
明王様・・・人が信仰しようとした時に、その気持ちを惑わすものを退けたり、灯台のように行く先を示す方。
明王様は、とにかく信仰する気持ちを守りったり、示したりされる方なので、信仰を求めるなら不義理や礼儀を欠いた時にも線路に戻そうとされる方なのでバチは与えられません。
天部の仏様・・・信仰の入り口から入ったばかりの方都共に修行をされる方。
自分の悪いところを、その姿でもって見せてくださる鏡のような方々です。
なので、バチは与えられませんが、身から出た錆を感じることになります。
神様は物理現象や事象、自然の化身や元人間の神様と、人が願いを叶えるために手を合わせて願う対象
その神様の理、法則、道理に合っているなら
、必ず願いは叶うものです
事象の神様・・・物理現象、自然現象など、「こうすれば必ずこうなる」という方。
なのでバチは与えられませんが、その理に沿ってなければ願い事が叶うことはありません。
ただ、理に沿わなかった時に、別の事象の神様の理に沿ってしまって不都合な結果になり、それを「バチに当たった」と誤解することがあります。
自然の神様・・・災害や事故など、自然にまつわる厄災への畏怖から信仰される方と、自然を利用して願いを叶えようとすることから信仰される方。
自然と共に生きる時には、畏怖と敬意と尊重を持って接し、また利用して願いを叶えようとしなければなりません。
人が傲慢に自然の神様に接した時には、手痛いバチが与えられます。
元人間の神様・・・何らかの理由で、人が神格をつけられて人々にまつられたために神様になった方。
元人間なので、生きている人と同様に、あるいはそれ以上に信者に義理や礼儀を求められます。
同格以上の立場でもないのに、義理や礼儀を欠いた時には、キツいバチが与えられます。
例えば、願い事を叶えていただいたとか、アドバイスをいただいて物事が都合よく運んだにもかかわらず、お礼詣りに足を運ぶことすらしなかったとき
バチが与えられます。
ご先祖様はバチを与えるのか?
答えはNoです。
子孫は自分を思い出してくれる唯一の存在です。
大切な大切な子孫を傷つけるなんてことをするはずもなく、逆に不義理や礼儀を欠いたとしても、それでも守ろうとします。
ですが、神仏様への不義理や礼儀を欠いたときには、その神仏様へ申し訳が立たなくなって力が弱くなります。
そして日々降り注ぐ厄災がご先祖様の守りをすり抜けて子孫に不都合がおとずれます。
それを子孫は「バチを与えられた」と誤解してしまうことがあります。
ですが、これはバチではなくて、身から出た錆と反省すべきことなのです。