9月のキャンペーンの合言葉は
芥川龍之介さんの「蜘蛛の糸」について、意見を聞かせてください
本を読む時間がない方は、YouTubeのこちらの動画をどうぞ
キャンペーンの合言葉の解説です
お釈迦様は慈悲の心で人々を救ってくださいます
ただ、その救い方は即物的なものではなく、教育というお導きで救ってくださいます
まず、ここのところを念頭に置いていてください
蜘蛛の糸で焦点が当てられるのは
どうしても一人だけ助かろうとして蜘蛛の糸が切れる部分ですね
「自分だけ」ではなく、「みんなで」という意識を持つようにという戒めであったり、教訓ということでしょう
ただ、ここでひとつ疑問を持たなければなりません
それは「なぜお釈迦様が蜘蛛の糸を垂らしたか?」ということと
「カンダタがなぜ蜘蛛を助けたのか?」というところです
なぜお釈迦様は蜘蛛の糸を垂らしたか?
それは試し以外のなにものでもありません
試して、今のその人の道徳観を知るわけで
そこから、どう導くかが見えてくるわけです
糸はどうして切れたのだと思いますか?
それは沢山の人が糸にすがって昇って来たからではありません
「この蜘蛛の糸はオレのものだ!降りろ!」という言葉で切れたのです
上の方々は、こうやっていつも私たちを試します
神様に現世利益を授けさせるのは、私たちを試すためです
地獄ではなくて、此岸にいるわたしたちにも同じで、バチを与えるためではありません
一人一人の側におられるご先祖様たちが、神仏様に申し訳ないと思ってしまうような言動があれば、ご先祖様たちは守りきれなくて厄災にあたります
カンダタはどうすべきだったのでしょうか?
地獄にいるみんなで同じ目的のために話し合い、方法を考えればいいのです
が、、、
元々地獄へ落とされてしまう人たちなので、助け合いやお互いさまという気持ちを持ち合わせていない人たちです
地獄で他人にしたことを我が身に受けて、それで改心するに至るのは、どれほどの月日が必要なのか?
ただ単純に地獄から抜け出したいという気持ちで合意して協力し合うなら、蜘蛛の糸はまた切れるでしょう
なかなか難しいことではあります
だから、お釈迦様は地獄にいる全ての人たちに向けてではなく、個々人に向けて救いの手を差し伸べると考えたほうがよいでしょう
タイミングを見計らって、「そろそろかな」と
と、推察できるわけですが
そもそも、なぜお釈迦様はカンダタを助けようとしたのか?というところに着目すると、お釈迦様の教え方というものが見えてきます
カンダタは放火や強盗や殺人をする人です
なのに、そのカンダタがなぜ蜘蛛を助けたのでしょうか?
それはカンダタが「人間嫌い」だから
生き物が嫌いというわけではありません
だから人間は簡単に殺せる
でも、フッと蜘蛛に自分を投影して蜘蛛を助けたのかもしれません
「そもそも人は善である」
悪を身につけるのは教育のせいだというお釈迦様のお考えが表現されているのですね
カンダタは幼少期、親からどういう扱いを受けていたのでしょうか?
子どものころは?
成人してからは?
DV、裏切り、差別
それが人間嫌いな人に育ててしまうのです
人は生まれながらにして親の慈愛のおかげで、慈しみの心を持っているものなのに
だからお釈迦様は試されるのですね
受けた穢れを、慈しみや仁で祓う事ができるのか?
この物語は、こうやってどんな物事にも起きたことや見たことに疑問を持ちって学びなさいという
お釈迦様の教え方を表した物語なのです
諸行無常
常識や価値観
それは時代、世情によって常に変化していくもの
だからこそ、それに合わせて変化させていかなくてはなりません
悪い方向に変化をしてしまうことがあるなら、よい方向へ変化させることもできる
大事なことは、「自分には何もできない」「わたしがしたってどうにもならない」と何もアクションを起こそうとしないのではなく
「子どもには大切なことを伝えていこう」という、できることの中でも1番大きなことをしようとすることです