「謝る」というのが「ごめんなさい」と言えばいいだけなら、それで罪を犯した人が許されることに納得はできまんね
「感謝」も「ありがとう」と言うだけだったら、やがて関係は崩れていきます
「謝」という字は「言べん」に「射る」と書きます
弓道で弓矢を射る場合には的が必要ですね
つまり「謝」の「射る」は的を得たことをするという意味です
また、「言う」に「人べん」をつけると「信じる」になります
人の言うことや行動から、その人をよく知ることが信じることということです
それは自分に対してでもです
なので「謝」は謝るにせよ感謝するにせよ
相手がしてくれたことに対して的を得た言葉を声にしたり行動したりすることをさします
それは直接相手にすることでも、間接的にすることでも、その行いは社会に循環していくことで豊かな社会が創造されるのではないでしょうか
なので、どんな悪事を働いたとしても、行動が伴う「ごめんなさい」であれば
これを認め、許すことが循環する感謝を生むのではないでしょうか
逆に、行動のない「ありがとう」が生むのは、猜疑心や妬みなのではないかと思います